Coleman: Social Capital in the Creation of Human Capital(コールマン:社会関係資本がどう人的資本を作るのか)の要約

人間の行動の源泉

2つの考え方が存在する。1つが、行動は社会化されて起こるよね→社会化されてしか起こらないという偏りを生んでしまう。2つ目が行動は個人のモチベで決まるよね→社会の影響をあまりにも軽視してしまう問題が生じる。1も2も問題が生じているのでそれらをよりよくするために、大雑把に、2の考え方に1をどうやって当てはめようか?という議論がなされてきた。

Colemanのアプローチ

colemanはそれとは異なるアプローチをとった:合理的行動の経済分析を社会システムの分析に応用したい。経済システムも含むがそれだけに止まらない。つまり、個人が個人の好みによって物事や行動を決めるという理論そのものを社会システムのあり方に応用しようとした。コールマンによれば、物理的な資本だったり、人的資本と同じで、社会関係資本も”ある行動”をスムーズにする機能がある。ただし、人間関係を前提としているので、個人の好みや利益に着目してみるとよくないことが起きることもある。

ではどのようにスムーズにしているの?具体的な機能って何?

義務と期待・・・ AさんがBさんに何かしてあげたらAさんはBさんが義務を果たすこと(リターンとして返す)を期待する

情報チャネル・・・社会関係自体の中に情報が含まれており、この情報が価値を持っている。

社会規範と効果的な制裁・・・規範が存在し、それが効果的である場合、自然と犯罪が抑制されるので老人や子供にとっても過ごしやすい環境になる。

上記の機能の前提になる「閉鎖的な」社会ネットワーク

普通の関係性・・・A, B, Cさんがいた時に、AさんとB,Cが繋がっているけどB,Cは繋がっていない場合。これは「開放的」なネットワーク。こうなるとAさんが何かしらの悪事を働いた時にBさんとCさんが共通の制裁を行えないので効果的な犯罪抑制にはならず、また逆に何かAさんに共通で報酬を与えたい時にもうまく回らない。閉鎖的だとこれが逆で制裁もうまくいく、監視者がいるので義務と期待の関係もうまくいき、信頼度がますので情報チャネルの正当性も担保される。

世代間の関係性・・・A(親)-C(子供)、B(親)-D(息子)がいた時に、C,Dは仲良いけどA,Bに関係性がないという仮定をおく。すると、C,Dに対して親は共通のルールや制裁を課すことができず、効果的な教育ができない。ここで閉鎖的関係性が出来上がっていれば、親が連携して子供の行動に影響を及ぼすことができる。親の連携がないと子供は子供独自のルールに従ってしまう。

家族の中で社会関係資本がどのように人的資本を作るか。

これまでの議論では人的資本を有している(教育年数が長い親)家庭の子供は自然と良い教育を受けやすく、逆の場合はその恩恵を受けられないというものがあった。しかし、たとえ親の教育年数が低くとも、親が子供と長く時間を過ごし、目にかけて、勉強の重要性や楽しさを伝えることで人的資本の足りなさを補える。それどころか、たとえ人的資本があってもこの社会関係資本(親子の関係性)がないと、子供の能力は育たない。コールマンは例として高校をドロップアウトした子供は片親か、兄弟は多くいたか、などを変数にしてパーセンテージに違いがあるかを検討した。結果、片親、4人兄弟は、両親、1人っ子よりもドロップアウト率が高いことが判明した。

家族の外の社会関係資本がどのように人的資本を作るか。

これは先ほどの「閉鎖的な」関係性が前提になる。例えば、引越しの回数が多かった家庭ではこうした社会関係を築きにくいと考えられる。そこでロジスティック回帰を行ったところ、引越し回数が多い子供のドロップアウト率が高いことがわかった。

次に、普通の公立学校、普通の私立学校、カトリック系の私立学校でドロップアウト率の比較を行った。カトリック系の学校では親は全員カトリックで教会でも知り合い、子供同士の結びつきも強い。こうした環境下で、子供のドロップアウト率はかなり低く、普通の学校ではカトリックと比較するとかなりドロップアウト率が高かった。

社会関係資本の公共財的役割

非競合性あるいは非排除性の少なくとも一方を有する財として定義される。競合性とは、消費者(利用者)たちによるその財の消費が増えるにつれ、追加的な費用なしでは、次第に財の便益(質・量など)が保たれない性質を指す[1]。排除性とは、対価を支払わず財を消費しようとする行為を実際に排除可能な性質を指す。この場合市場では、価格付けされた財が対価の支払いを条件として販売される[2]

つまり競合しない=追加的な費用払わなくても便益が保たれる。
排除しない=対価払わなくても排除不可能。(こっち?)

個人の好みにだけ着目すれば、そのコミュニティを抜けることが得策でも全体最適を考えた時には抜けない方が良いと考え、実際にコミュニティから抜けないという状況。→失いうる情報チャネルや閉鎖的関係性などを恐れている可能性もあるのでは?

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