カリキュラムってどういうロジックで決まるの?

今回読んだ論文について

今回は”Ideology and Cultural and Economic Reproduction”という論文を読んだ。この論文では様々な理論の議論を通じて、「どのように学校のカリキュラムが決められていくのか」についてマクロ的な視点から論じている。

Academic Achievement VS Socialization

前者のacademic achievement、つまりは学業の成果については「高校が東大合格者数をこぞって発表する状況」に近い。つまり、カリキュラムの中身は正直どうでもよくて、そのカリキュラムにおける学習内容を突っ込んだ学生が大学に受かる(成果)を出したか否か、だけが着目される。Socializationに関しては「どのような社会的規範や社会的価値が教えられるのか」「どのように教育機関がcommon ruleを生徒に教え込んでいくのか」に注目する。しかし、socializationの考えには欠陥があり、ある支配者グループの社会的規範が強くなりすぎてカリキュラムに影響しちゃうということ。例えば戦時中、陸軍の力がすごい強かった時には、国語の教科書の内容に軍部を讃える内容ばかりが掲載されたような、そんな感じ。

どのようにhegemony(権威)は維持されるのか

権威者側というのは常に自分たちのvalueを合法化というか認めさせようという方向で動く。これは深く、また無意識に伝達され、経済的・政治的な階層と密接に結びついている。教育内容だけではなく、その教えるプロセスからも階層が今の状態であることを納得させる向きで動いていく。

どのように特定の知識が経済的再生産と結びつくか

そもそもhigh status knowledgeってなんだろうか。誰が決めた知識が重要な知識で、そうでもないやつってなんだろうか。例えば、高校生の頃、「英語は重要だから授業をきく」「でも古文はまあ聞かなくてもいいや」みたいなことって誰しもにあったと思う。でもそもそもこういう「重要度」ってどうやって決まるんだろうか。これについてはtechnical knowledgeといって世の中を経済装置と見立てた時に、それをもっとも効率的に回すことのできる知識が重宝される。例えば昨今、文系学部が大学から廃止されて、職業大学院ができるという話が出たと思う。これもこの理論に見たてるとすごく理解が容易で、そもそも経済を回していく上で「大して重要ではない」とdominant groupである政府が判断した文系学部は廃止され、「重要である」と判断されたdataなんちゃら学部とかグローバルなんちゃら学部が生き残る。

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