代理的消費と顕示的消費について。Veblenの”The theory of leisure class: Conspicuous Consumption”より

代理消費ってなに。顕示消費ってなに。

今回は経済社会学の分野である、代理的消費と顕示的消費についての論文を読んだ。英文名は”The theory of leisure class”でその第4章にあたる”conspicuous consumption”について今回は学んだのでそれをまとめておきたい。

顕示的消費とは何か

顕示的消費はその漢字からも読み取れるように、「いかに私に購買力があるかを示すことによって」「私の社会的ステータスを外に対して知らしめるために」消費する形態のことをいう。隣の家の人がなにをやってるのかもよくわからなくなった現代においては、自分の金銭的な力を支出によって見せつけることでしかステータスを示すことができない。

もともとleisure class(有閑階級、つまり貴族的な立場の高いところにいる人)は「暇をもてあますこと」によってそのステータスを外に見せつけていた。というのも、江戸時代に被差別民が死体の処理や牛馬の糞を集める仕事をしたように、「暇を持て余していること」それ自体が「卑しい仕事を免れている高い地位の人」というふうにみなされていたから。しかし、今では暇を持て余していることの相対的な価値は低下していて、逆に「消費すること」の価値が高まっている。こうして「消費すること」それ自体に意味がもたらされ、消費者のステータスが上がるための役割をになうようになったのである。これは一見すると「浪費」のように映る。でも当の消費者からすると「浪費」しているつもりはまるでなく、初期はステータスのためにやっていたことが徐々に本当に生活必需品かのようになってしまう、というのも顕示的消費の一つの特徴である。

代理的消費とは何か

代理的消費とは他の人に変わって消費をすること。が、この代理的消費も基本的には顕示的消費と密接に関わりを持っている。英語でいうと、”vacarious conspicuous consumption”というわけだ。例えば当時の中流階級は、自分たちの購買力であるとか家族のステータスを外に知らしめる必要があった。そこで旦那は外でとにかく働いて、その働きにより余った時間とお金を奥さんが使うことによって、家族や旦那のステータスや購買力を外に知らしめていた。これが代理的で顕示的な消費。現代では女性も外で働くことがスタンダードになってきているのでVeblenの文章と整合性が取れない部分も多々あるが、Veblenは女性は進化した結果、男性に使われる立場ではなく、男性の生産した財の儀礼的な消費者になったのだとしている。

現代の文脈に当てはめることは可能か

僕は昨今特に若者の間では明確なconspicuous consumptionって減ってきているのではないかなと思う。しかしステータスを外に示す必要があるというのは過去と全く変わっておらず、ただその手段が「とにかく高いものを買って、支出を増やすことによって、そのステータスを示す」というアプローチから「ソーシャルメディアなどを用いて、いかに自分が社会において高いステータスにあるかを示す」という方向性に変化しているように感じる。例えば、先日台湾にルーマニア人の女性とオーストラリア人の女性と3人で旅行に行ったのだが、その際に彼女たちはとにかく「自分の写真がいかに美しく撮れるのか」だけにフォーカスして旅をしていた。そのいいねの数をひたすらにチェックし、自分が世間から認められることを確認することにより、彼女たちは安心していた。これは言い換えると、世間に対して「いかに自分が充実している=ステータスを持っているか」の顕示的な消費(この場合は旅行)に他ならないのではないだろうか。

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