新しい言語を学ぶべき4つの理由(John Mcwhorter)

新しい言語を学ぶ意味はあるのか

どの国の人も英語を話せるようになっている現代社会において、他言語を学ぶ意味やメリットがあるのかわからないことがあります。Skypeの自動通訳機能もGoogle translateもどんどん発達しているのでわざわざ学習コストをかける必然性がなくなっているのは確かかもしれません。

でも確実に新しい言語を学ぶことに意味はあるのです。

新しい言語を学ぶ理由(従来型)

このプレゼンにおいて John Mcwhorter氏は従来言われてきた「言語を学ぶ理由」に警鐘を鳴らします。

従来言われてきた理由とは、言語を学ぶことによってその言語を話す人特有の世界観を学ぶことができるから、というものでした。つまりこういうことです。

今フランス人とアメリカ人の目の前にテーブルがあります。この二人に対して仮にテーブルが話すとしたらその声はどのようなものかと尋ねます。アメリカ人は低い声だったり、高い声だったり、男性だったり女性だったりバラバラです。でも、フランス人の場合はかなり高い確率で女性の声だと答えます。フランス語でテーブルは女性名詞だからです。

フランス語を学ぶことによってフランス人のこうした特有の世界観は理解できるかもしれません。では、アメリカ人の喋る英語についてはどうでしょうか。英語特有の世界観ってなんでしょうか。実はあまり確固たるものはないのではないでしょか。このように従来型の理由には例外も多く含まれていたわけです。そんな世界観など存在しない、という言語も少なからずあったわけです。

新しい言語を学ぶべき3つの理由

ここでMcwhorter氏は新しい言語を学ぶべき3つの理由をあげます。

  • 現地文化に入り込み、その土地に住む人を真に理解するため
  • 認知症になりにくく、マルチタスカーになりやすくなるため
  • 言語って面白い!

以下、一つずつ見ていきます。

1つ目の理由について、ある土地に行くとその人たちは確かに英語を話せるかもしれません。でも、基本的に彼らの日常的なコミュニケーションのルールはその土地の言葉を使うことです。仮に英語を話していたとしても、その英語は現地語と比較した時に確実に彼らの微妙なニュアンスを伝えてくれません。彼らを深く理解するという点において、その場所のコミュニケーションのルールに則ることは重要です。

2つ目の理由は脳を鍛えられるということです。これらは若いうちに習得が可能です。

3つ目の理由は純粋に面白いよねって話です。文法が違ったり、同じ意味の単語でもニュアンスの違いだけで何十種類も単語があったり、母音の数が違ったり。例えば、英語の母音は14種類ですが、カンボジア語の母音は30種類を優に超えるそうです。

「新しい言語を学ぶ4つの理由」についての感想

僕自身の経験を思い起こしながら「現地文化に入り込み、その土地に住む人を真に理解するため」という理由について深堀りしてみたいと思います。

僕は昨年インドネシアの村に1ヶ月ほどボランティア活動にいきました。そこでは現地の住民の家にホームステイをさせていただき、現地の飯を食べ、現地の人と働きました。現地住民で英語を話せる人などいません。つまり、僕がインドネシア語を話さなければ直接のコミュニケーションは不可能、という状況でした。

幸い、ルームメイトのインドネシア人学生が英語を話せたため、彼に通訳してもらいながらコミュニケーションをとりましたが、それでも直接コミュニケーションをとってみたくて、持って行ったインドネシア語の辞書と単語集と文法書を駆使してノートに気持ちや今日あったことをインドネシア語で書いてみたり、簡単なコミュニケーション、例えば挨拶や意思表示(食べたい、痛い、行きたい、風呂入りたい、天井から砂が落ちてきて眠れない、天井の砂が顔面に被って朝とんでもないことになった、など)をインドネシア語で試みました。

拙すぎるインドネシア語をホストファミリーは大爆笑しながら聞いてくれていましたが、やはり、全力で現地に溶け込もうとしたからこそ、受け入れられたし、楽しさも倍増したのだと思います。その土地の言語を学ぼうとする姿勢は、すなわちその土地やそこに住む人の文化や常識を理解しようとする姿勢だと思います。だからこそ現地の言葉を習得することとその姿勢がとてつもなく重要なんだと僕は思います。

八月から香港です。未だ広東語は挨拶すらままならない状態ですが、今回もいい機会です。現地に溶け込もうとする姿勢を示すためにも、彼らの通常のルールに則ったコミュニケーションを少しでも理解するためにも、少しずつ学んでいかねばと思う次第です。

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